こんな事を呟きました。
自分は将来絶対
娘に依存する自信がある。だから
そのうちいなくなるんだって
今だけなんだって
自分の中で思うようにしてる。
だから
だから
なにか娘が出来る様になると嬉しさの後に
愛しさと切なさと心強さが来る。
— やましんぐる (@yamashinguru) 2018年11月30日
先日は
意思の疎通が出来るようになって
一人暮らしじゃなくて二人で暮らしているんだなーと感じましたが
これも思っている事の一つ。
今自分の生きる原動力は
紛れもなく娘のうーたの存在があるからです。
昔の自分では考えられない
自分でも知らない献身的な一面があるんだなと気付かされました。
それ故に
娘が生きがいになってしまって
依存してしまうのだろうと思っています。
だからこそ呟いたように
いつかは離れて行くし
娘の成長は生きがいだが
存在を生きがいにしてはいけないと思っております。
成長しうーたはうーたの人生を歩む。
自分はそのレールに乗って走り出せるまでのお手伝いと
見守る役目をする立場。
正直大きくなっても側にいて欲しいなぁなんて今は思うけれど
いつかは離れるという心の準備も同時に少しづつ
浴槽に水を一滴づつ貯めるようにゆっくり
していかなければと思うのです。
成長は嬉しい。
すごく嬉しい。
けど
やっぱり嬉しさの後に
何とも言えない寂しさがあります。
本当変な生き物ですよね
親って。
それではまた明日。